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映像創作集団、STUDIO4℃

■常に挑戦的な企画に取り組み、ハイクオリティかつエッジの利いた映像作品を創り出してきたアニメプロダクション、STUDIO4℃。『MEMORIES』('95)『スプリガン』('98)『アリーテ姫』('01)といった劇場映画をはじめ、多数のミュージック・クリップやCM、短編作品を手掛け、海外からも高い評価を得ている、最も先鋭的なプロダクションの一つである。2003年には『マトリックス』のウォシャウスキー兄弟とのコラボレートで『アニマトリックス』('03)の制作をプロデュースし、ジャパニーズ・アニメのレベルの高さを世界に呈示した。数々の優秀なクリエイターたちを擁し、アニメではなく「映像」を作るという自負の下に、観る者を驚愕の体験に導くビジュアルメイキングを追求し続けてきたSTUDIO4℃。その最新企画は、知る人ぞ知るロビン西の傑作コミック「MIND GAME」の映像化であった。


映像創作集団、STUDIO4℃

■いかにして「MIND GAME」がアニメーション化されるに至ったのか。ことの起こりは数年前、STUDIO4℃の田中栄子プロデューサーがとある作品の音楽素材を受け取りに、作曲家の自宅に押しかけた日にまで遡る。曲の完成を待つ間、田中がふと手に取ったマンガ本こそ、「MIND GAME」であった。ページを繰り始めた彼女はその内容に深く感銘を受け、「これは絶対に自分たちの手で映像化しなければ!」と固く誓ったのだった。

■「最初は、これはアニメじゃなくて実写にするしかないと思った。表現されているものが、ものすごくリアルなんですよ」と、田中栄子は語る。「MIND GAME」は、STUDIO4℃初の実写映画企画として考えられていた。そこにはまた、原作の絵のタッチをそのままアニメに置換することの難しさ、という問題も関わっていた。

■ロビン西の原作は、一見ラフでチープな線で描かれながら、計算された見事な構図によって、躍動感と勢いを表現しているハイレベルな作品であった。STUDIO4℃のメインクリエイターの面々も、軒並みこの作品にハマっていたが、それを具体的に映像化するイメージは見えていなかったのである。この作品をアニメーションとして成立させ得る逸材は一体誰か……その時、田中栄子の脳裏に一人の天才アニメーターの名前が浮かんだ。その名は、湯浅政明。


映像創作集団、STUDIO4℃

■湯浅政明はTV「ちびまる子ちゃん」「クレヨンしんちゃん」等の作品で原画や設定デザインを務め、主にはそういった子ども向け作品の中でオリジナルな作風を発揮し、業界からの注目を集めた。最も広く知られているのは『クレヨンしんちゃん』劇場版シリーズでの仕事だろう。センス・オブ・ワンダーに満ちあふれた設定やキャラクターデザインは多くの潜在的ファンを生み出した。佐藤竜雄監督のOVA『ねこぢる草』では、脚本・演出・作画監督を担当し、それまでとは違うダークでビザールな世界を描き、新たなカルトアニメとなった。いくつかのパイロットフィルム等で監督経験はあったものの、本格的に監督をする機会には恵まれず、一般に広く公開される商業作品でのデビューが待ち望まれていた。

■湯浅政明とSTUDIO4℃との付き合いは、1997年に作られた森本晃司監督のデジタル短編アニメ『音響生命体ノイズマン』から始まる。この作品で、湯浅は森本監督と共にキャラクター&設定デザイン・作画監督を手掛け、アーティスティックでありつつ、かわいげと邪悪さを兼ね備えたノイズマンのキャラクターをはじめ、鮮烈なビジュアルを創り上げた。その時からすでに、田中プロデューサーはその作家性はもちろんのこと、監督としての素質も見出していたという。一方で湯浅も『ノイズマン』制作中、すでに森本から原作「MIND GAME」を紹介されていた。

■「MIND GAME」映画化の企画が動き出し、その監督候補として湯浅政明の名が浮かんだ時、田中にはすでに勝算があった。「最も保守的であるはずのファミリー向け作品で、あそこまで自由奔放な動きや、象徴的な映像を作れる湯浅さんが、この映画にはぴったりだと思って」(田中栄子・談)。まさしく慧眼と言えよう。

■さっそく田中は「MIND GAME」の監督を湯浅政明に依頼。原作にほとばしる非凡な面白さに共鳴していた彼は、そのオファーを快諾した。ここに、全ての歯車が動き出したのである。



 


©2004 MIND GAME Project