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この例に収まらず、過去に存在した古今東西のアニメーション、マンガ、美術作品の残影を本作に見つけるのはちっとも難しくない。
ところでこれは、おそらく原作にある設定であり偶然の一致だろうけどディズニーネタだってある。そう。三人が鯨に呑み込まれるくだり。誰でも『ピノキオ』('40
)を思い出すに違いない。……無論どちらも旧約聖書の「ヨナ書」を踏襲しているのであるが。
原典をよく読むと、預言者ヨナは神を神とも思わない妙なヤツ。でも「主を畏れる者だ」などと平然と言ってしまえるような傲慢な男である。それはまさに西クン……いや、鯨に呑み込まれた四人の肖像。矛盾はあるが、迷いはない。迷いはないが、足もとは不確かだ。ここに「地上的な愛」が介入してはじめて、「まず行為しつづけることに意味がある」とでもいいたげな終盤の疾走へと繋がっていく。あらゆるアニメーション・テクニックを駆使して延々と続くそれは、まさに目眩く視覚的興奮と心理的ミ揚を喚起し、観るものをして居ても立ってもいられない状態へと導いていく。論理や意味を越えたイメージの連鎖は「精神の運動」そのもの。前衛文学やニュー・ウェイヴSF
が獲得した幻惑感に相通じるスペキュラティヴな瞑想性(哲学性、といってもいい)に至るのである。
ここで2D と3D と実写は個々の質感を主張しつつ、このうえなくダイナミックに結びつく。異種の技巧の祝祭的な乱交。すべての登場人物が社会と個人、過去と現在の葛藤に折り合いをつけてしまう。個人の中に他者の歴史の存在を感じとり、自分の人生の卑小さと他者との連続性を思い知る。とてつもない幸福感。ビバ人生。ここまで突き抜けてしまえるのは、やはり恐るべきセンス・オブ・ワンダーなのだ。
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